2021年1月24日 年間第3主日B年
(ヨナ3・1-10)、(Ⅰコリント7・29-31)、(マルコ1・14-20)
神の呼びかけに聞き従う
主日に朗読される第一朗読と福音は必ず互いに関連しています。今日の場合、第一朗読と福音の共通点は神の呼びかけに聞き従うことです。
第一朗読では、神が預言者ヨナを通して、「悔い改めなければ、40日後に、ニネベの都は滅びる」と警告され、福音では、キリストが二組の兄弟、シモンとアンデレ、ヤコブとヨハネに、「私について来なさい。人間をとる漁師にしよう」と呼びかけられました。ニネベの人々は、神の警告に耳を傾けて、悪の道を離れました。福音における二組の兄弟はすぐに網を捨てて従いました。このように共通点は、「神の呼びかけに聞き従う」ことです。
神の呼びかけに従うということについて、大切なことが二つあります。第一に、それが神の呼びかけであるかどうかを正確に識別すること。
アダムとエバのように、「善悪の知識の木の実を食べれば死ぬ」という神の警告を無視して悪魔の誘惑に聞き従うと、大変なことになるからです。
第二に、神の呼びかけであると確認した場合、忠実に従う勇気と力を神に祈り求めることです。この二点について、シモンとアンデレ、ヤコブとヨハネの場合はどうだったでしょうか。
先ずアンデレとヨハネの二人が、ナザレのイエスこそメシアだと《聖霊によって動かされて*》確信するようになりました【注* 年間第2主日B年参照】。これについて、ヨハネによる福音の中でこう語られています。アンデレとヨハネが洗礼者ヨハネと一緒にいたとき、洗礼者ヨハネがイエスについて証ししました。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。この方がイスラエルに現れるために、私は水で洗礼を授けに来た。私は、“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。私はこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるために私をお遣わしになった方が、『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』と私に言われた。私はそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである」(ヨハネ1・29-34参照)。
そして、先週の主日で見ましたとおり、アンデレとヨハネはイエスについて行き、一晩一緒に過ごして、「この方こそメシアだ」と確信するに至り、それぞれ自分の兄弟であるシモンとヤコブに「私たちはメシアに出会った」と伝えました。こうして、二組の兄弟、シモンとアンデレ、ヤコブとヨハネは、イエスこそメシアだと識別し、確認したのです。
そして時が来て、イエスはこの四人に呼びかけられました。「私について来なさい。人間を取る漁師にしよう。」この呼びかけに対して、従うことも断ることも、一人ひとりの自由に委ねられています。ニネベの人々が神の警告に従わなかったなら、永遠に滅んだでしょう。福音書の四人がキリストの呼びかけに従わなかったなら、使徒として神の国で永遠に治めることは実現しなかったでしょう。神の呼びかけに聞き従うことは、自分と回りの人々との最高の幸せに直結しています!
天の父よ、日々、色々な仕方で、あなたが御子や聖霊と共に語りかけておられることを敏感に感じ取り、その語りかけにいつも忠実に聞き従う恵みをお与えください。