2022年1月2日 主の公現
(イザヤ60・1-6)、(エフェソ3・2-6)、(マタイ2・1-12)
キリストの光と栄光を輝かせる
主の公現とは、神の独り子が人となって、人類の歴史の中に公に現れたという意味です。その目的は、人となられた神の子が世の終わりまで一人ひとりの救いのために働き続けて下さることです(Ⅰテモ1・15参照)。このことをイザヤが第一朗読で次のように預言しています。
「起きよ、光を放て。主の光と栄光があなたの上に輝く。見よ、闇と暗黒が地上と国々を覆い、包んでいる。しかし、主の光と栄光があなたの上に現れる」(イザヤ60・1-2参照)。「起きよ、光を放て」と、イザヤは、信仰によってキリストに接ぎ木された私達に呼びかけています(ヨハネ15章参照)。そのキリストはまた、「道であり、真理であり、命」(ヨハネ14・6)でもあります。ですから、主に結ばれている私達の上に主の真理という光が輝き、神の命という栄光が現われ出ます。〔神の栄光とは、神の本性から流れ出る全ての善いもの、特に神の命を意味します。〕しかし、不信仰のうちに留まる限り、罪という闇と永遠の滅びという暗黒が地上の国々を覆い続けます。これが第一朗読の冒頭の預言です。
主に結ばれている私達の上に主の光と栄光が現れますが、私達がどのように生きるべきかを、占星術の学者達が示しています。
第一に、彼らは特別な星に導かれて、遠くから主のもとにやってき
ました。私達も信仰という星に導かれて主のもとに導かれました。大切なことは、一生涯、生き生きとした信仰をもって救い主の教えにとどまり、その模範に倣うことです。
第二に、学者達はひれ伏して幼子を礼拝しました。私達も主を礼拝すべきです。つまり、「自分自身を神に喜ばれる聖なる生きた生贄として献げましょう。これこそ真の礼拝だからです」(ロマ12・1参照)。
主は、礼拝のために献げた私達自身を、御自分のために利用することは決してなさらず、人類の救いと聖性のために活用されます。主は何も奪わず、私達が差し出したものを清め・高めて、神の子に相応しいものとして下さるのです!
第三に、学者達は、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げました。私達も、聖霊の洗礼によって頂いた神の愛という黄金と、イエス御自身の本質的な徳である柔和と謙遜という乳香と、日常生活における犠牲や苦しみという没薬を贈り物として献げましょう。
このように生きることによって、主は私達をますます清めて、御自分の似姿・神の家族として永遠に生きさせて下さいます。こうして、キリストの光と栄光が私達の生活の中で輝き出るなら、周りの人々もその光に向き直り、その栄光に向かって歩み始めます。
天の父よ、あなたの御子に結ばれている私達が、キリストの光と栄光を日常生活の中で輝かせることによって、主の公現の協力者となれるよう助けて下さい。