2023年2月19日 年間第7主日 A年
(レビ19・1-18)、(Ⅰコリント3・16-23)、(マタイ5・38-48)
世の知恵と神の知恵
主は仰せになりました、「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし私は言っておく。悪人に手向かってはならない。誰かがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に背を向けてはならない。」この御言葉を聞いて、私たちはつぶやくのではないでしょうか、「もし、このとおりに生きるなら、悪人たちの食い物にされ、ひどい目にあうだろう。私は嫌だ。主のお言葉であっても、従わない」と。もしこのように言うのであれば、預言者エレミヤの言葉がそのまま私たちにも当てはまります。彼は言いました。「彼らは万事を人間的に判断し、主の言葉を退けた」と(エレ8・8-9参照)。被造物である私たちが、人間的に判断して、主の言葉を退けることが許されるのでしょうか。
使徒パウロの次の言葉を受け入れるべきです。「本当に知恵のある者となるために、愚かな者になりなさい。この世の知恵は、神の前では愚かなものだからです」(第二朗読)。神の前で知恵ある者となるために、この世に対して愚かな者となりましょう。御言葉どおりに生きようとして、もし悪人から食い物にされ、苦しまなければならなくなっても、それを受け入れるべきではありませんか。その模範がキリストです。主は御父の御旨どおりに語り行われたために、長老・祭司長・律法学者たちから排斥されて、殺されました。ところが、排斥されて殺されたキリストによってこそ、人類の救いがもたらされました。「召された者にとってキリストこそ、神の力、神の知恵なのです」(Iコリ1・24)。
福音の後半部分で、主は言われました。「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、私は言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。」そして、結びの言葉として言われました。「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」この理想に向かって、日々、恵みに助けられつつ一歩一歩前進しましょう。
神のお与えになる知恵について、ヤコブは書いています。「神から出た知恵は何よりも先ず、純真で、更に、温和で、優しく、従順なものです。憐れみと良い実に満ちています。偏見はなく、偽善的でもありません」と(ヤコ3・17)。これらの特徴を、今日の御言葉の中に、極めてはっきりと認めることができます。私たちのなすべきことは、聖霊に導かれて御言葉を正しく理解し、その教えどおりに忠実に生きようと努めることです。これこそ、キリスト教的生活の真髄です。
天の父よ、聖フランシスコは万事を生き生きとした信仰の目で洞察し、信仰の真理に基づいて生き抜きました。私たちにも同じ恵みをお与え下さい。