(創世記12・1-4)、(Ⅱテモテ1・8-10)、(マタイ17・1-9)
毎年、四旬節第2主日のミサで、主の変容の出来事が朗読されます。「その目的は二つある」と、聖レオ一世教皇は言われます。すなわち、第一 弟子達が主の御受難に躓かないようにすること。第二 キリスト者も同じ栄光に与るという希望を保証すること。以下、この二点について考えましょう。
第一 2011年3月11日午後2時46分に東日本で発生した大地震と、それによって生じた大津波のために、岩手・宮城・福島三県の太平洋岸の多くの市町村は壊滅的な被害を受け、大勢の方が津波に流されて亡くなられました。家族を失った悲しみを抱えながら生きておられる方が、今も大勢いらっしゃいます。更に地震と津波のために生じた福島第一原子力発電所の事故が、未曽有の大災害を引き起こしました。この大災害の後遺症の中で、大勢の人々が、最早以前のような生活を続けることが出来なくなっておられます。
また、去年の2月24日に勃発した、ロシア軍によるウクライナでの傍若無人の破壊と殺戮の悲惨な状況を新聞・ラジオ・テレビなどで見聞きするとき、大勢の人が「どうして、こんなひどいことが21世紀のヨーロッパで起こるのか? 神も仏もいない」と考えたり、キリスト者の信仰が動揺したりするのではないでしょうか。
この災害や軍事侵攻の全容だけでなく、全世界のあらゆる時代のあらゆる悲惨な状況を完全に把握しておられる主は、約二千年前の弟子たちの信仰だけでなく、世の終りまでの全キリスト者の信仰を固めるために、三人のおもだった弟子であるペトロ・ヤコブ・ヨハネを連れて、高い山に昇り、御自分の栄光を垣間見せられました。こうすることによって、彼らの信仰を固め、この三人が他の全てのキリスト者の信仰を固めるようにされたのです。これが、弟子たちに変容をお見せになった第一の目的でした。
第二 御自分の栄光に満ちた姿を見せることによって、主に結ばれている私たちが、将来どのような栄光に与るかを示して下さいました。つまり、神秘体の頭であるキリストが持っておられる栄光に、そのメンバーである私たちも与るのだという希望を保証して下さいました。
主の変容のとき、三人の弟子は、栄光に輝く主の姿を見ました。「顔が太陽のように輝き、服が光のように白くなっているキリスト、天国で永遠に生き続けるキリスト」を見ました。更に、「これは私の愛する子、私の心に適う者。これに聞け」という、御父の声も聞きました。キリストの栄光が彼らの心にどんなに深く刻み付けられたことでしょう。
さて、地上の苦しみの後に、栄光が永遠に続きます。だから、ご変容を見た聖ペトロは力強く勧めます。「愛する人たち、あなたがたを試みるために身にふりかかる火のような試練を、何か思いがけないことが生じたかのように、驚き怪しんではなりません。むしろ、キリストの苦しみに与れば与るほど喜びなさい。それは、キリストの栄光が現れるときに、喜びに満ちあふれるためです。キリスト・イエスを通してあなたがたを永遠の栄光へ招いて下さった
神御自身が、暫くの間苦しんだあなたがたを完全な者とし、強め、力づけ、揺らぐことがないようにして下さいます」(Ⅰペトロ4・12-13、5・10)。
天の父よ、私たちが自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、あなたの御独り子に最後まで従うことができるよう助けて下さい。そして、御国で御子キリストの栄光に与らせて頂けますように。