2022年5月15日 復活節第5主日
(使徒14・21-27)、(黙示録21・1-5)、(ヨハネ13・31-35)
一人ひとりが神の愛の一滴となる
「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13・34)。これが、今日の福音の鍵言葉です。この愛の掟に関する二つのエピソードを心に刻みましょう。
第一のエピソード ヘルモン山系から源流が流れ出て、ヨルダン川となり、先ずガリラヤ湖に、そして最後に死海に流れ込みます。同じヨルダン川の水が流れ込んでいるのに、ガリラヤ湖は命に満ちており、死海はいかなる命も存在しない完全な死の海です。何故でしょうか。答えは次の通りです。ガリラヤ湖はヨルダン川の水を受けて、それを流し出しますが、死海は全然流し出さないからです。〔死海の水面は地中海の海面下395mで、死海の水はどこにも流れ出ません。死海に流れ込んだヨルダン川の水に、ごく少量の塩分も含まれています。死海では、水分だけが太陽熱で蒸発し、塩分は蒸発せずに留まり、徐々に蓄積されて、塩分が余りにも濃くなりすぎて、どんな魚も生きることが出来ないのです。〕これを霊的に解釈すると、次のようになります。キリスト者が神の愛である聖霊という生きた水を頂き、その愛に生かされて隣人愛の実践に励むとき、生きた水を流し出しているので、つまり、キリストの新しい掟を守っているので、ガリラヤ湖と同様に命に満ちた者となりますが、隣人愛の実践に励まなければ、死海のように命のない者となります。
第二のエピソード マザーテレサが1979年にノーベル平和賞を受賞して、国へ帰るために空港に向かうと、そこには大勢のジャーナリストが待ち構えていました。その中の一人が失礼な、しかし、大そう重要な質問をしました。「マザー、あなたがなさっていることは、結局少しも世界の平和に貢献していないではありませんか。あなたがどんなに努力したところで、世の中は少しも良くなっていないではありませんか。」
周りの人々は固唾(かたず)を呑んで、マザーが何と答えるか耳を澄ましました。マザーはこう答えました。「私は世の中をよくしようとは思っていないのです。私は一滴の清い水滴になりたいと思って努力しています。ところで、あなたはカトリック信者ですか。」彼が「はい」と答えると、マザーは、「では、あなたも清い一滴になるように努力して下さい。そうすれば、これで二滴(ふたしずく)です。あなたの奥さんもカトリックですか。では、あなたが奥さんに清い一滴になるように勧めて下さい。そうすれば、三つの滴になります。お子さんはいますか。3人? では、私達は6つの滴になります。こうして、一人ひとりが清くなっていけば〔隣人愛の実践に励めば〕、世界は変わります。」集まっていたジャーナリスト達から大きな拍手が湧き起こりました。
そうです。私達一人一人がマザーテレサのように隣人愛の実践に励めば、世界は必ず変わります。これについて、主は言われました。「互いに愛し合うならば、それによってあなたがたが私の弟子であることを、皆が知るようになる」(ヨハネ13・35)。私達が主キリストの弟子であることを知った人々は、私達の主に近づき、主を信じて、主キリストの弟子となります!
天の父よ、あなたの御子がお与えになった新しい掟を、私達一人ひとりが出来るだけ忠実に生きるよう、力をお与え下さい。