2022年7月31日 年間第18主日 C年
(コヘ1・2、2・21-23)、(コロ3・1-11)、(ルカ12・13-21)
神の前に豊かになる
今日の福音の鍵言葉は、「神の前に豊かになる」ことです。その正反対の悪徳が貪欲であり、主は、今日の福音の中で「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである」と警告されました(第三朗読)。主が言われる「人の命」とは、全ての人に共通な人間としての命でもあり、洗礼によって神から頂く永遠の命(神の命)でもあります。
さて国語辞典によれば、貪欲とは非常に欲の深いことです。主は、金持ちの計画――もっと大きい倉を建て、そこに穀物や財産をみなしまっておこうという計画――について話し、こう言われました。「愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったい誰のものになるのか。自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」
では、「神の前に豊かになる」ためにどうすれば良いのでしょうか。使徒パウロは言います。「主は豊かであられたのに、私達のために貧しくなり、御自分の貧しさによって私達を豊かにされた」と(Ⅱコリ8・9参照)。これはどういう意味でしょうか。
主は御父への愛と私達への愛だけを唯一の宝として生き抜くために、それ以外の全てを私達のために差し出し〔つまり、貧しくなり〕、そうすることによって、信じる人々の罪を赦し、神の命を与えて私達を神の子とし、永遠に生きる者として下さいました。神様でさえ、私達をこれ以上、豊かにすることはお出来になりません。
逆説的ですが、私達も主の貧しさを生きることによって、自分も周りの人々も神の前で豊かな者とされるのです。どうすれば、主の貧しさを生きることが出来るのでしょうか。マザーテレサが最高の模範を残しておられます。マザーは言われました。「私のたった一つの最高の望みは、主が私の中で自由に生き、主が私を通して力強く働いて下さることです。そのために私は、自分の手も足も、力も時間も健康も全てを主に差し出しています」と。
私達もマザーテレサのように自分を残りなく主に差し出すことによって、主の貧しさを主と共に生きることが出来ますように!
天の父よ、あなたの御子の貧しさを生きることによってあなたの御前で豊かな者となれるよう、私達を照らし導いて下さい。