2022年5月8日 復活節第4主日 C年
(使徒13・43-52)、(黙示録7・9-17)、(ヨハネ10・27-30)
主の声を聞き分け、主に従う
今日の福音の鍵言葉は、羊飼いである主の声を聞き分け、主に従うことです。そうするなら、主は私達に永遠の命を与えて下さり、私達は神の命に与って永遠に生きさせて頂けます。これについて考えましょう。
一つの実話を心に納め、それから今日の福音を考えたいと思います。
イエズス会のゴメス修道士さんはスペイン生まれで、少年時代に、父親の羊の番をしていました。羊は自由に山々へ行き、夜になると自分で柵の中に戻ります。その時、羊飼いは羊の数を数えます。彼は、姉さんと一緒にその仕事をしていました。ある晩、子羊のブルネットだけが戻りませんでした。来る日も来る日もブルネットを探しましたが見つかりません。1年間、姉と弟は、毎日、ブルネットを探していました。ある朝、二人は、山々を歩き回ってブルネットを探しました。峠に上って向こうの谷を見ると、羊の群れが見えました。別の群れですが、ブルネットが迷い込んでいるかもしれません。
羊飼いでない私たちには、すべての羊が同じ顔に見えますが、羊飼いは自分の羊が分かります。姉さんが、「あれ、あそこよ! ブルネットよ!」と叫びました。大きく成長していましたが、ちゃんとブルネットだと分かりました。それで弟のゴメスさんが、大声で「お-い」と呼びました。イエス様がおっしゃった通り、羊は羊飼いの声を聞き分けます。他の羊は知らん顔をしていましたが、ブルネットは頭を上げて、「メェー」と鳴き、急いで走ってきました。姉と弟は喜んでブルネットを家に連れて帰りました。以上の実話を心に止めながら、主の語りかけに心の耳を傾けましょう。
さて、今日の福音で、主は言われます。「私の羊は私の声を聞き分ける。私は彼らを知っており、彼らは私に従う。私は彼らに永遠の命を与える。」ブルネットがゴメス少年の声を聞き分けたように、私たちが主の声を聞き分けて主に従うならば、主は私たちに永遠の命、神の命を与えて下さいます。
永遠の命について、最後の晩餐のとき、キリストの祭司的な祈りと呼ばれている箇所で、主御自身が次のように祈られました。「永遠の命とは、唯一の真の神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです」(ヨハネ17・3)。
ここ言われる「知る」とは、「人格的な愛による一致と交わりを生きる」という意味だ、と神学者は説明します。この意味を理解するために一つのモデルを考えましょう。
理想的な夫婦の場合、愛するがゆえに、夫は妻に、妻は夫に自分の全てを差し出して、深く一致し交わりながら、考えにおいても行いにおいても完全に一体となって生きています。三位一体の神は、理想的な夫婦以上に、愛である聖霊において、御父は御子に、御子は御父に御自分の全てを差し出して深く一致し、交わりながら生きておられます。結局、永遠の命とは、神御自身が生きておられる《人格的な愛による一致と交わりに与らせて頂いて、私たちも同じ命を生きさせて頂く》ことです。
そして、永遠の命を養うために、主は御自分の肉と血を与えると在世中に約束されました。「私の肉を食べ、私の血を飲む者は永遠の命を得、私はその人を終わりの日に復活させる」(ヨハネ6・54)。
この恵みを頂くために必要で十分な条件は、ブルネットがゴメス少年の声を聞き分け、彼に従ったように、私達が良い羊飼いである主の声を聞き分け、その主に従うことです。出来るだけ敏感に聞き分け、忠実に従いたいものです。
天の父よ、永遠の命を戴いている私たちが、その命を聖体拝領によってますます深めさせて頂けますように。【永遠の命と聖体拝領について、主がファウスティナに語られた言葉(『日記』、No.1810-1811) 参照】