2022年4月17日 復活の主日C年
(使徒10・34-43)、(コロサイ3・1-4)、(ヨハネ20・1-9)
主の復活とその実り
キリストの復活は歴史的な事実です。その確かな根拠が三つあります。第一に、神は天使を通して婦人達に言われました。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ」(ルカ24・5-6)。第二に、主キリストも、在世中に、御自分の復活について預言されました。「人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活する」(ルカ24・7)。第三に、神によって立てられた証人達が、自分の命を賭けて証ししているからです。その一人が使徒ペトロです。彼は宣言します、「私達は、イエスのなさったこと全ての証人です。人々はイエスを木にかけて殺してしまいましたが、神はこのイエスを三日日に復活させ、人々の前に現わして下さいました。…私達はその証人です」(使徒10・39-40参照)。このように、キリストの復活は、第一に神御自身の言葉、第二にキリストの預言、第三に使徒達の証言に基づく歴史的な事実です。
さて、キリストの復活は私達に何をもたらしたのでしょうか。罪の赦し、神の命、世の終わりにおける体の復活、そして、神の家族として永遠に生きさせて頂くことです。この説明は以下のとおりです。私達は、洗礼を受けたとき、「キリストの御血によって全ての罪から清められ」(ヘブライ9・14、黙7・14)、ぶどうの木である「キリストに接ぎ木されて」(ローマ6・5、11・17)、聖霊という神の命によって生かされ始めました。この聖霊は、「キリストを復活させた天の御父の霊」でもあり(ローマ8・11a)、キリストの霊でもあります(ヨハネ20・22)。ですから、私達が「ぶどうの木であるキリストに結ばれ、聖霊という樹液によって生かされている限り、天の御父は同じ聖霊によって必ず私達をも復活させ、御自分の家族として永遠に生きさせて下さいます」(ローマ8・11b参照)。
冬の間、ブドウの木は枯れているように見えますが、春が来ると、深く潜んでいた生命が躍動し始めます。私達も、キリストに結ばれて、既に「キリストと共に復活させて頂きました」が、その命は、まだ「神のうちに隠されています。」しかし、主の再臨という実りの秋が来るとき、必ず「キリストと共に栄光を帯びて現われます」(コロサイ3・4)。
キリストに結ばれている私達に、神がお望みになることは、「古い人」の悪徳を絶えず滅ぼし、「新しい人」であるキリストを着て、その聖徳、特に愛を生きることです(コロサイ3・5-17参照)。これについて、マザーテレサは言われました。「私は、皆様が神の愛のうちに育まれ、その愛を実際の行動に移されるよう祈っています。これは皆様自身の祈りによってのみ実現されます。祈りは清い心を与え、清い心は神様を見ることを可能にし、神様を見ることが出来たら、愛が始まります。」
天の父よ、私達が祈りによって心の清い者とされ、心が清められてあなたを見、あなたを見ることによって愛を生きさせて下さい。