2022年1月16日 年間第2主日 C年
(イザヤ62・1-5)、(Ⅰコリント12・4-11)、(ヨハネ2・1-11)
マリアの執り成し
聖母はどんな状況の中で、「ぶどう酒がなくなりました」と、ご自分の独り子に言われたのでしょうか。マリア様は、新郎の家の人々と親しい関係にあったので、台所で手伝っておられたと思われます。さもないと、宴会中にぶどう酒がなくなったことに気づくことは出来なかったでしょう。婚宴を主催している人々が慌てふためいている様子を見て、聖母は慎み深く簡潔に御子に告げられます、「ぶどう酒がなくなりました」と。
これに対して、イエスはお答えになりました。「婦人よ、私とどんな関わりがあるのです。私の時はまだ来ていません。」この意味について或る聖書学者は次のように説明します。「婦人よ、ぶどう酒がなくなったという事態は、私とどんな関わりがあるのです。私の栄光を現す時はまだ来ていません。しかし、もし御父がお望みになるならば、特別なことが起こるでしょうけれど…。」聖母はこの通りに理解されたかどうか分かりませんが、「慈しみ深い我が子が、全能の神としてきっと何か偉大なことをしてくれる」という確信があったのではないでしょうか。聖母は召し使い達に言われました。「この人が何か言いつけたら、そのとおりにして下さい。」そして再び台所へ手伝いに行かれます。この瞬間、御父が御子に、「あなたの母の慎み深い望みに応えてあげなさい」と言われたのだろうと思われます。
神様が聖なる人の望みに応えて奇跡を行われることは、確かにあります。例えば、ヒゼキヤ王の場合がそうでした。王は死の病にかかりました。預言者イザヤが来て、告げました。「神はこう言われる。『あなたは死ぬことになっていて、命はない。家族に遺言をしなさい。』」ヒゼキヤ王が熱烈な祈りを献げると、イザヤが宮殿の中庭を出ないうちに、神は言われました。「ヒゼキヤのもとに戻って言いなさい。『あなたの父祖の神、主はこう言われる。私はあなたの祈りを聞き、涙を見た。見よ、私はあなたを癒し、三日目にあなたは主の神殿に上れるだろう』」(Ⅱ列王記20・1-5参照)。
キリストの母マリアは、他の誰よりも神の御心どおりに生きておられました。このような聖なる人の望みを、神が拒むことはお出来になりません。何故なら主はおっしゃっています。「あなたがたが私に繋がっており、私の言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる」(ヨハネ15・7)。
聖母ほど、イエスにしっかりと繋がっていて、イエスを愛し、その御言葉を心に納めて、御言葉どおりに生きておられた方は他に誰もいません。だから、御父が、「あなたの母の望みに応えてあげなさい」と語られ、御子は約120リットル入りの水がめ6つに水をいっぱいに満たさせ、最上のぶどう酒にして栄光を現されました。この奇跡を見て、弟子達は「イエスが神の子・救い主だ」と信じました。
天の父よ、イエスとその御母がどれほど忠実にあなたの御旨どおりに生き抜かれたかを、私達に悟らせて下さい。そして、その模範に倣って、私達も御旨どおりに生きることが出来るよう、助けて下さい。