2021年12月26日 聖家族 C年
(Ⅰサムエル1・20-28)、(Ⅰヨハネ3・1-24)、(ルカ2・41-52)
父の家にいなければならない
今日は聖家族の祝日です。聖家族とは、イエス・マリア・ヨセフの三人によって構成される特別な家族を指していますが、広い意味では、私達すべてのキリスト者が、天の御父とキリストと聖母を、それぞれ父、長子、母とする霊的な家族の中に迎え入れられ、限りない喜びと平和のうちに永遠に生きることだと言えます。三位一体の神様が救いの恵みを与えて下さる究極の目的はそこにあります。
そのような霊的な大家族として生きるための最重要課題 は何でしょうか。それが、今日のキリストの言葉に示されています。両親は、12歳の少年イエスを見失って三日後に、神殿の境内で学者達の真ん中に座り、話を聞いたり、質問したりしておられる御子を見つけられました。
そのとき、イエスは言われました。「どうして私を捜したのですか。私が自分の父の家にいるのは当たり前だということを知らなかったのですか。」つまり、「父のお望みなので、私は自分の父の家にいなければならないのです。このことを知らなかったのですか。」
私達は、洗礼によってイエス・キリストに接ぎ木されました。イエスが父の家にいらっしゃるのが当たり前であるように、私達も父の家にいるはずなのです。これが御父のお望みです。ここで言う「父の家」とは、私達の心です。心について、カトリック教会のカテキズムは次のように言います。神の似姿である人間は、「心によって神を受け入れるか拒否するかを決定」するのであり(No.368)、神を受け入れた人は、「心において神と真正面から見つめ合うのです」と(No.2563)。
それで、祈りの教会博士であるアヴィラの聖テレジアは、潜心の念祷という祈りを次のように説明しています。「『潜心』とは、『自分の知性・意志・記憶など全ての能力を引き連れて、心の奥深くに降りて行くこと』であり、『念祷』とは、『神から愛されていることをよく知った上で、その神と二人だけで度々語り合い友情の親密な交換をすること』です」と(『自叙伝』89頁参照)。潜心の念祷の素晴らしい実例があります。
1994年にルワンダで3ヵ月間に、ツチ族の約100万人が虐殺されました。その時、数人の女性と共に牧師さんの居間の小さなトイレに隠れて、奇跡的に助かった女性イマキュレーは、『生かされて』という著書の中でこう書いています。「私は、心の奥深くに居場所を見つけ、目が覚めるや否や、そこに入り込み、眠りにつくまでそこにいました。そこは、私の聖なる場所でした。そこでは、神様と話すことが出来、神様の言葉によって黙想することが出来ました。黙想していると、信仰の核に触れ、魂が豊かに満ちてくるのでした。周りに恐怖が渦巻いているときに、訪れるたびにより温かく、より素晴らしくなる私だけの場所をこの世に見出したのです」(『生かされて』176頁)。
天の父よ、「私達の心に現存されるあなたや御子キリストと、聖霊に照らされ導かれて
親しく語り合い、友情を交換し合いながら生きる」恵みをお与え下さい。