2021年12月5日 待降節第2主日 C年
(バルク5・1-9)、(フィリピ1・4-11)、(ルカ3・1-6)
主の道をまっすぐにする
今日の福音の中心的な内容は、主の道をまっすぐにすることです。なぜなら、キリストの先駆者である洗礼者ヨハネが、「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」と言うからです。『主の道をまっすぐにする』とは、どのようなことでしょうか。
これについて、洗礼者ヨハネ自身が言いました。「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ。」徴税人に対しては、「規定以上のものは取り立てるな。」兵士に対しては、「誰からも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」(ルカ3・11-14)。
約二千年前、人々が洗礼者ヨハネに尋ねたように、21世紀の今、私達もキリストに、「主よ、あなたの道をまっすぐにするために、この私はどうしたらよいのですか」と尋ねたら、主は、先週の主日に言われたとおり、「私の来臨に備えて、いつも目を覚まして祈りなさい」とおっしゃるのではないでしょうか。
「いつも目を覚ましている」とは、神への愛と兄弟への愛の実践に励むことです(待降節第一主日参照)。この愛の実践が出来るよう「絶え間なく祈るように」と主は言われました。この絶え間ない祈りが心のこもった祈りになれば、どんなに素晴らしいことでしょう。心のこもった祈りについて、次のような模範があります。
パリの或る大聖堂の入り口で施しを乞いながら生活しているホームレスの男性がいました。彼の名はポールです。ポールはいつもブドー酒のビンを手にしていました。肝硬変を患い、いかにも病人だという顔色でした。ある心の優しい婦人が彼のことを気にかけ、彼と近づきになりました。
彼は、毎日、或る時間になると聖堂に入り、聖櫃のすぐ近くに座っていました。心の優しい婦人が、そこで何をしているのかと尋ねるとポールは答えました。「イエスが独りでおられる聖櫃のところへ行って、イエスにこう言うんだ。『イエス! 俺です、ポールです。あなたに会いに来ましたよ』って。そして、暫くの間そこに座っているのさ。」
ポールは遂に肝硬変が悪化して瀕死の状態に陥り、病院に収容されました。入院中のポールを何度も見舞ったあの心優しい婦人が、ある日、「今日はもう亡くなっているかも知れない」と考えながらポールの病室へ行きました。ところが彼はきれいに髭(ひげ)を剃り、生き生きとした様子で、計り知れない喜びで輝いていました。婦人は自分の目を疑いました。だが、確かに彼でした! 「ポール! 信じられないわ。いったいあなたの上に何が起こったの?」
「全ては今朝起こった。俺は気分が全くすぐれなかった。突然、誰かが入って来てベッドの足もとに立つのを見た。彼はハンサムだった、とてもハンサムだった。……彼は俺にほほえみ、そしてこう言った。『ポール! 私だ、イエスだ。きみに会いに来たよ!』」(『メジュゴリエの証言者達』、90~92頁参照)。
天の父よ、主の道をまっすぐにするために、最も重要な二つの愛の掟の実践に励みつつ、ポールのように≪心のこもった祈り≫を絶え間なく献げることが出来るよう、助けて下さい。