2021年6月13日 年間第11主日 B年
(エゼ17・22-24)、(Ⅱコリ5・6-10)、(マルコ4・26-34)
愛による一致と交わりへの招き
主は数多くの譬えで神の国について語っておられますが、『神の国』の概念は私にとってよく分からないものでした。ある時、ヨハネ・パウロ二世教皇様の回勅の中で、「神の国とは、神が救いの計画を完全に啓示し、それを実現して下さることです」という教えに出遭い、「そうか。神の国の本質は、救いの啓示と実現なのだ」という思いを抱きました。更に、主は聖ファウスティナに言われました、「地上における神の国とは霊魂における私の命である」と(『日記』No.1784)。
救いについて、聖バジリオは次のように説明しています。「黒い鉄の塊を考えて下さい。鉄は黒く・冷たく・硬いのです。これが燃え盛っている火の中に入れられると、黒かったものが赤くなり、冷たかったものが熱くなり、硬かったものが柔らかくなります。これが救いです。つまり、人間の愛は利己主義的で、鉄のように黒く・冷たく・硬いが、神の愛という燃え盛る火と一致すると、神の愛に変容される」と。
霊魂におけるキリストの命について。もともと人間には二つの命があります。体の命と霊魂の命。ところが、私達キリスト者はブドウの木である主と結ばれてキリスト御自身の命も戴いて生きるようになりました。だから、キリスト者の霊魂には人間の命とキリストの命があります。そして、この人間の命がキリストの命に変容されて、キリストの命だけが霊魂の中で力強く生きるとき、キリスト者は聖人となります。〔(ガラテヤ2・20)参照。〕
以上を要約しますと、神は御自分が生きている愛と命を人間にも生きさせ、そうすることによって救いを実現したいとお望みなのです。
では今から、今日の福音の二つの譬えで、主が何を私達にお語りになりたいのか、黙想しましょう。
最初の譬えで、「人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長する」と言われました。土とは? 種とは? 土 は私達一人ひとりの霊魂、種は神の御言葉です(ヨハネ12・49-50参照)。
冒頭の人とは、種を蒔いて下さるキリストでもあり、それを受け入れる私達でもあります。続けて主は言われました。「実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」実が熟すとは? 収穫の時とは? 実が熟すとは私達の愛(命)が神の愛(命)に変容されることであり、収穫の時とは、天国に迎え入れられる時です。
第二の譬えで、「神の国は、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る」と言われる時の「地上のどんな種よりも小さい」と言われる意味は? 神の言葉という霊的な種は、地上のどんな物質的な種よりも小さいと主は断言しておられるのだと思います。
しかし、「成長すると、どんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る」と、主は言われます。私達は主キリストと結ばれることによって御父と聖霊にも結ばれています。『空の鳥』という言葉で、主は『天国の天使や聖人達』を意味しておられるのだと、私は考えます。
天の父よ、御子と聖霊と共に私達の救いのために御自分の命まで差し出しながら働き続けて下さいまして、有難うございます。私達が最大の愛と感謝を込めて協力させて頂けますように!