2021年5月30日 三位一体の主日 B年
(申4・32-40)、(ロマ8・14-17)、(マタイ28・16-20)
三位一体の神の内的生命、愛の抱擁
今日は三位一体の主日です。三位一体の神の内的生命に関する重要な教えを心に銘記しましょう。理想的な夫と妻は、互いに自分の全ての善いものを相手に差し出して親しい一致と交わりを実現し、その一致と交わりを最高の喜びとしながら生きています。そしてこの一致と交わりから愛の結晶である子供が誕生します。この存在様式こそ、神の内的生命の淡い象りだと言われています。
神学者は、三位一体の神の内的生命の本質を《愛の交わり》と言います。神は人間を創造して下さいましたが、その究極の目的は、私達を御自分の《愛の交わり》に与らせるためです。このことが、「アンドレイ・ルブーレフの有名な三位一体のイコンに描かれています。そのイコンの中で、マムレの樫の木の下のアブラハムに現れた三位の天使によって象徴されている父と子と聖霊が、祭壇の回りに一種の神秘的な円を形作って『私達が一つであるように、あなたがたもこの《愛の交わり》に入りなさい』と招いて下さっているのです」(カンタラメッサ著『ミサと聖体』87頁参照)。
以下、バチカンの説教師であるカンタラメッサ師の説明です。同師は、三位一体の神の内的生命に関する自分の体験を以下のように述べておられます。
「或る夜、甘美な、優しい《抱擁》のうちに私を包み込む御父の偉大な愛を感じました。我を忘れてひざまずき、暗闇の中で体を丸くしました。心臓はドキンドキンと鼓動しており、私は自分を神の意志に残りなく委ねました。すると、聖霊が私を三位一体の愛の神秘に導き入れられました。私を通しても与え、そして受ける忘我の交換が、私の結ばれていたキリストと御父の間で、また御父と御子の間で行われていました。しかし、言い表せないものをどうして表現することができるでしょうか。何も見ませんでしたが、それは見ることをはるかに超えたものでした。応答し高く舞い上がり、受けそして与える、この歓喜に満ちた交換を言い表す言葉はありません。そしてその交換から、力強い命〔聖霊〕が一方から他方へ、ちょうど温かい母乳が母親の乳房からその子供に流れて行くように、流れていました。私がその子供であり、キリストによって新たに生まれた全ての被造物がその子供なのです。私は聖書を開いて読みました、『あなたの不滅の霊が全てのものの中にある』(知12・1)。おお、聖なる生ける三位一体の神よ! 数日間、我を忘れていました。あの経験は、今もなお強く心に刻まれています」(カンタラメッサ著、『キリストにおける生活』42-44頁参照)。
以上を要約して、主が今日の福音で言われました。「父と子と聖霊の名によって洗礼を授けなさい」と。これは、「父と子と聖霊の命の中に沈めなさい」という意味だと聖書学者は説明しています。要するに、洗礼とは、父と子と聖霊という三位一体の神御自身の命の中に入れて、神の命・神の愛に与らせることなのです。
天の父よ、洗礼によって全キリスト者にこの偉大な恵みが差し出されていることを感謝します。聖体拝領を通してこの恵みを体験することが出来るよう、私達を助けて下さい。