2021年1月3日 主の公現
(イザヤ60・1-6)、(エフェソ3・2-6)、(マタイ2・1-12)
主の栄光を輝かせる
主の公現とは、神の独り子が人となってこの世に来て、世界史の中で公に現れ、主の再臨の時まで人類の救いのために働き続けて下さることです。これを信じる人もいれば、信じない人もいます。占星術の学者達や私達キリスト者は信じていますが、ヘロデ王・祭司長・律法学者達は信じなかったし、多くの現代人も信じていません。信じることによって素晴らしい恵みを頂いていることを再確認しましょう。
これについて預言者イザヤが、第一朗読で預言しています。「エルサレムよ、起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り、主の栄光はあなたの上に輝く。見よ、闇は地を覆い、暗黒が国々を包んでいる。しかし、あなたの上には主が輝き出で、主の栄光があなたの上に現れる」(イザヤ60・1-2)。ここで言われているエルサレムとは、神の都とそこに住む真のイスラエル人、即ち、信仰によってキリストに結ばれている私達を意味しています(ガラテヤ6・15-16参照)。罪という闇が地を覆い、永遠の滅びという暗黒が国々を包んでいます。しかし、道・真理・命であるキリストに結ばれている私達の上には、神の栄光*が輝いています。〔神の栄光*とは、神の本性から流れ出る全ての価値あるもの、ここでは特に神の命・永遠の命を意味します。〕
このような恵みを頂いている私達は、どのように生きるべきでしょうか。その模範を、今日の福音の占星術の学者達が示しています。
◎彼らは特別な星に導かれて、キリストのもとに来ました。私達も
自分の心に現れた信仰という星に導かれて主のもとに来ました。神の子とされている私たちは、今日も生き生きとした信仰をもって御言葉と御聖体のうちにおられる主を受け入れましょう。
◎学者達はひれ伏して幼子を礼拝しました。私達も御聖体の主に礼
拝を献げましょう。つまり、「自分の体を神に喜ばれる聖なる生きた生贄として献げましょう。これこそ真の礼拝だからです」(ロマ12・1参照)。真の礼拝の具体的な生き方は、マザーテレサの《たった一つの最高の望み》に倣うことです。つまり、「私のたった一つの最高の望みは、主が私の中で自由に生き、主が私を通して力強く働いてくださることです。そのために、私は自分の手も足も、力も時間も健康も全てを主に差し出しています。」この真の礼拝を献げるとき、私達のうちに住んで下さっている主と聖霊が力強く照らし、導いて下さいます。この礼拝を献げなければ、神は力強くお働きになれません。
◎占星術の学者達は、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げました。
私達も、御聖体のうちにおられる主から戴く、神の愛という霊的な黄金と、柔和と謙遜という霊的な乳香と、犠牲や苦しみという霊的な没薬を、日常生活の中で実践しながら贈り物として主に献げましょう。
このように生きることによって、キリストの栄光が、私達の生活の中で輝き出ます。その時、周りの人々もこの栄光に向かって歩み出すでしょう。
天の父よ、あなたの御子に結ばれている私達が、キリストの栄光を日常生活の中で輝かせることによって、主の公現の協力者となれるよう助けて下さい。