2020年12月27日 聖家族 B年
(創15・1-6、21・1-3)、(ヘブ11・8-19)、(ルカ2・22-40)
聖家族の根本的な特徴は『聖性』です。つまり、《神への愛のゆえに神の教えを守ること》です(ヨハネ14・23参照)。イエスは御父を愛するが故に万事において御父の御旨どおりに生き抜かれました(ヨハネ5・19参照)。同様に、マリア様もヨセフ様も神を愛するからこそ万事において神の御旨を忠実に生きようとされました。聖母の「お言葉どおりになりますように」という言葉のうちに、マリア様の聖性が凝縮されています。ヨセフ様について、マタイは「彼は正しい人であった」というひと言でその聖性を言い表しています。『正しい人』とは神の御旨を生き抜く人であるからです。私たちの家庭や共同体も、神の御旨を生きようと努めることによってキリストとの愛による一致と交わりを深めさせて頂き、生活を通してキリストを証しする者となれたら、どんなに素晴らしいことでしょう。
こんな実例があります。長野県の青木村におけるエピソードです。この村の一人の女性が洗礼を受け、シスターになって海外へ派遣されました。休暇で帰国したとき、実家で生活しておられる母上に会いたいと切望して訪ねて行っても、兄上が「そんな服装(シスターの服装)をしている奴は家に入れない」と言って、追い返されます。そんなことが3年に一度の休暇毎に続いていました。しかし、ある時から兄上の態度が変わりました。この村にHさんというカトリック信者の家族が住み始められました。この家族の生き様を見ていたシスターの兄上が、休暇で帰国したシスターに言われました。「お前がHさんと同じ宗教を信じているのなら、家に入ってもよい」と。 Hさんの家族は、カトリックの教えの素晴らしさを日常生活で示されたのです。
同じような実例をもう一つ。『イエスの小さい姉妹の友愛会』の或る共同体のシスター達が、十数年前にこう書いておられました。「私達がこの伊那の生田峠で御降誕祭を祝うようになって、はや20年になります。これまで共同体のメンバーは幾人も入れ替わりましたが、キリストを信じる者・キリストに身を献げた者として、御近所の方々から『キリストの衆』と呼ばれるようになりました。そして、厳寒に雪かきの苦労をあまりしなくても済む家をと、御近所の方が、こちらからお願いもしていないのに、空き家を探して下さり、『キリストの衆にはここに居てもらいたいから』と言われ、嬉しい思いをしました。」【注 『キリストの衆』の共同体は、3・11の大震災後、放射能汚染地の近くへ居を移されました。】
私達がキリストとの親しい一致と交わりのうちに生きているなら、必ずその光が明るく輝き出て、周りの人々を照らします。主は言われます。「あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである」(マタイ5・16)。
天の父よ、聖なる家族、聖なる共同体がたくさん現れるよう助け導いて下さい。