2020年11月1日 諸聖人
(黙示7・2-14)、(Ⅰヨハネ3・1-3)、(マタイ5・1-12)
母なる教会が、今日11月1日を諸聖人の祭日として祝ように定めた目的は何でしょうか。聖ベルナルドは次のように答えます。「私たちが彼らに思いをはせることによって、神と諸聖人との交わりに加えられ、その喜びを分かち合いたいという憧れが心に燃立つことです」と。これは唯一の目的ではないと思いますが、非常に重要な目的です。
神様と聖人たちは、私たちとの一致と交わりのうちに永遠に生きたいと切望し、天国で待って下さっています。ところが地上の私たちは、この世のことに心を奪われ、神や諸聖人との一致と交わりを熱望せず、むしろ軽視しがちです。この一致と交わりこそが、人生の究極の目的であるのに…。天国こそが私たちの永遠の住まいであり、その住まいに向かって、私たちは今、地上の旅路を歩んでいるのです!
ロヨラの聖イグナチオは、戦場で負傷し、療養中に多くの聖人伝を読みました。これが、聖イグナチオの回心のきっかけだったと言われています。諸聖人がこの地上でどのように生きたかを知ることは、私たちにとって非常に重要です。
個人的な話で恐縮ですが、私は24歳の時、小さき花の聖テレジアの伝記を読んで、「キリスト教がこのような愛を生きさせてくれるのであれば、私もキリスト教を受け入れたい」と熱望し始めました。その約二週間後に聖フランシスコの小さき花を読み終わって、「もし神が存在されるのであれば、聖フランシスコが創立したこの修道会で一生を送りたい」と決心しました。それから教会に通って4ヵ月後に洗礼の恵みを頂き、26歳のとき修道生活の志願者となり、フランシスコ会員として現在に至っています。自分の体験に基づいて言うのですが、聖人たちの素晴らしい模範に目を注ぐことは、極めて重要だと感じています。
今日の福音の冒頭で主は、「心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである」と言われました。これについてアシジの聖フランシスコは説明します。「本当に心の貧しい人とは、主イエスを自分自身以上に愛し、自分の敵をも愛する人のことです」と。つまり、神への愛と隣人への愛を何よりも大切にして生きようとしている人こそが、本当に心の貧しい人なのだと。幼きイエスの聖テレジアも、死の前日に言いました。「大切なのは愛だけです」と。聖フランシスコも聖テレジアも「小さき者」として生き、霊的幼子の道を歩みました。この二人の聖人が歩んだ道、つまり実際に生きた霊的生活に、私は強く心惹かれます。聖フランシスコと聖テレジアの執り成しを願いつつその道・その生活をこつこつと歩み、生きる恵みを、主から頂きたいと願っています。
天の父よ、あなたは実に多様な聖人たちを模範として私たちに与えて下さっています。私たち一人ひとりが心惹かれる聖人を見出して、その模範に倣いつつ、あなたの御子キリストの似姿に変えられるよう、光と力をお与え下さい。