2020年10月18日 年間第29主日A年
(イザヤ45・1-6)、(Ⅰテサロニケ1・1-5)、(マタイ22・15-21)
ファリサイ派の人々は、「イエスの言葉尻を捕らえて、罠にかける」ために、特別な質問を用意しました。これによってイエスを窮地に陥れることができると、彼らは確信していました。すなわち、「ローマ皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか」という質問。「律法に適っている。納めなさい」と答えると、ファリサイ派の人々と熱心なユダヤ教信者が、「神を蔑ろにしている」と言って激しく反発し、イエスを排斥するでしょう。「律法に適っていない。納める必要はない」と答えると、ローマ皇帝に忠誠を誓っているヘロデ派の人々が反発して、イエスをローマ皇帝に訴えるでしょう。それで、ファリサイ派の人々はヘロデ派の人々と一緒にやって来て、この質問を突きつけます。
イエスは彼らの悪意に気づいて言われます。「偽善者たち、なぜ、私を試そうとするのか。税金に納めるお金を見せなさい。」熱心なユダヤ教信者が苦々しく思っていたとしても、ユダヤ人は皆、ローマ皇帝に税金を納めねばなりませんでした。税金のために納めるよう決められていたデナリオン銀貨には皇帝の肖像と名前が刻まれていました。イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と問い返し、彼らが「皇帝のものです」と答えると、「皇帝のものは皇帝に返しなさい」と言われました。すなわち、すべての合法的な権威は神から来ているのだから、その権威と法に従って税金を納めなさいと明言されました(ローマ13・1-7参照)。
しかし、更に重要なのは、次の短い一句です。「神のものは神に返しなさい。」主が言われる“神のもの”とは、何でしょうか。私たち自身です。デナリオン銀貨にローマ皇帝の肖像と名前が刻まれていたように、私たち一人ひとりの心に神の似姿と神の子という名前が刻まれているからです。何故なら、神は、「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう」と言って、御自分にかたどって人を造り(創世記1・26-27参照)、更に、御自分の命に与らせ、神の子として永遠に生きさせるために創造されたからです(カトリック教会のカテキズム、No.380、381参照)。それで、「神の肖像と名前が刻まれているあなたがた自身を神に返しなさい」と言われたのです。
「神のものを神に返しなさい」と言われた主キリストは、罪によって失った神の子の身分を人類に返し与えるために、御自分の命を十字架上で献げて下さいました。その計り知れない愛に応えて、私たちが心からの感謝を込めて「礼拝」(ローマ12・1参照)と「賛美」を献げるのは、愛に愛をもって応える、当然の行いです。
天の父よ、主キリストによってあなたの子とされた私たちが、使徒パウロに倣って次のように生きる者となれるようお助け下さい。「今や私は、あなたがたのために苦しむことを喜びとし、キリストの体である教会のために、キリストの苦しみの欠けたところを身をもって満たしています」と(コロサイ1・24)。