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2023年2月5日 年間第5主日A年
(イザヤ58・7-10)、(Ⅰコリント2・1-5)、(マタイ5・13-16)
地の塩、世の光
主は言われます、「あなたがたは地の塩・世の光である」と。「地の塩、世の光」として私たちが果たすはずの、使命について考えましょう。
1 地の塩 旧約時代に、神と契約を結ぶときに、動物または穀物を供え物として献げました。そして穀物を献げるとき、塩が不可欠でした。これについて、神は言われます。「穀物の献げ物にはすべて塩をかける。あなたの神との契約の塩を献げ物から絶やすな」(レビ記2・13)。さて、キリストを信じる者は、地上の人類社会に対して塩の役割を果たすべきだと、主は言われます。塩は食べ物に味をつけ、腐敗を防ぎます。そして福音こそ、人類社会に対する真の塩です。それで主は、「あなたがたは地の塩である」と言うことによって次のように諭し、戒められるかのようです。「十字架の血によって、神が全人類と結んだ新しい永遠の契約において、あなたがた福音に従う者こそが、永遠の契約に不可欠の塩なのだ。あなたがたは、毎日の生活という献げ物に福音という塩をかけてささげよ。人類社会に福音という味をつけ、その腐敗を防がねばならない。この働きができない者は、塩気のなくなった塩のように、もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。」
2 世の光 「キリストこそ、人類社会に対する真の世の光です」(ヨハネ9・5参照)。そのキリストに結ばれた私たちは、「以前には暗闇でしたが、今は、光となっています」(エフェソ5・8参照)。それで、主は言われます。「あなたがたは世の光である。・・・その光を人々の前に輝かしなさい。人々があなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである」と。
私たちは、神の恵みによって「地の塩、世の光」とされたのですから、決して塩気を失った塩にならないように努め、福音的生活という立派な行いによって光を輝かさねばなりません。聖フランシスコの晩年のエピソードで全体を要約したいと思います。
多くのフランシスコ会員が悪い模範によって人々につまずきを与えていることについて、聖人がひどく悲しんで祈っていたとき、主から次の諭しと約束を受けました。「小さき者よ、なぜ心を取り乱すのか。あなたを小さき兄弟会の牧者としたのは私ではなかったか。私が主要な守り手であることを、知らないのか。単純な人よ、私があなたを本会の牧者として選んだのは、従いたいと望む者たちをあなたに倣わせるためだった。堕落して離れ去った者たちを埋め合わせるために、他の者たちを私が選ぼう。そして、もし代わりの者が生まれていなければ、私が生まれさせる。だから、心を取り乱すな。ひたすら福音を生きることによって、救いのために働きなさい。会員が3人になったとしても、私の恵みによって、本会は揺らぐことがない」(Ⅱチェラノ158参照)。
天の父よ、聖フランシスコは、あなたの御子キリストの福音を生きることによって、キリストの光を世に輝かせました。私たちもそのように生きることによって、人々があなたを崇めますように。